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表彰受章者 | 功績の概要 |
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新潟県水難救済会 山北救難所 (海難救助功労/ 団体) |
令和3年11月7日午後0時50分頃、瀬渡し船功晴丸 (0.4 トン は、天候悪化のため新潟県村上市寝屋漁港沖合の岩場にいた釣り客6名を急遽収容して寝屋漁港向け帰港途中、横波等を受け転覆した。 功晴丸船長を含めた7名は海面に投げ出され、同船の船底に這い上がった船長は携帯電話で、新潟県水難救済会 山北 さんぽく 救難所へ救助要請を行った。山北救難所は、救助要請を受けるや直ちに救難所長指示のもと所属救助船4隻に11名の救助員を分乗さ せ出動をさせた。現場海域は磯波や返し波が複雑に絡み合う水深約2メートルの浅瀬で、か つ岩場が多数存在し、二次災害の恐れがある中、救助員が一致協力して、卓越した操船技術を駆使し、午後1時35分頃、転覆船の船底上にいた3名及び海面で漂流していた4名全員を短時間で救助した。 |
日本医科大学付属病院 (洋上救急功労/ 団体) |
昭和60年10月から開始された洋上救急事業の協力医療機関として、昭和61年3月以来これまでに146件 前回名誉総裁表彰受章後31件 の洋上救急事案に対して292名 前回名誉総裁表彰受章後62名の医師及び看護師を巡視船や航空機等に同乗させて出動し、傷病者に対して医療処置を行い、尊い人命の救助に貢献した。 |
医療法人 徳洲会 南部徳洲会病院 (洋上救急功労/団体) |
昭和60年10月から開始された洋上救急事業の協力医療機関として、昭和62年10月以来これまでに39件の洋上救急事案に対して63名の医師及び看護師を巡視船や航空機等に同乗させて出動し、傷病者に対して医療処置を行い、尊い人命の救助に貢献した。 |
令和4年度名誉総裁表彰受章者 (海難救助功労/団体) 新潟県水難救済会山北救難所 |
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令和4年度名誉総裁表彰受章者 (洋上救急功労/団体) 日本医科大学付属病院 |
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令和4年度名誉総裁表彰受章者 (洋上救急功労/団体) 医療法人 徳洲会 南部徳洲会病院 |
表彰受章者 | 功績の概要 |
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伊豆地区水難救済会 下田救難所 (海難救助功労/ 団体) |
令和元年8月3日、下田沖の神子元島付近海域で遊漁を終え南伊豆町の 妻良 漁港に向かっていた4名乗りのプレジャーボートJAMYVが午後6時30分頃、同町三ッ石埼付近浅瀬に乗り揚げ航行不能となり、転覆・沈没の恐れを感じた同船船長が118番に通報し、救助を求めた。 午後6時50分頃、下田海上保安部から救助要請を受けた下田救難所救助員 4名 は、救助船「第八福寿丸」にて同町入間漁港を直ちに出港し、現場に向け急行した。 午後7時15分頃、浸水の著しいJAMYVを発見し、日没後かつ、暗礁、岩礁が散在し、うねりがあり、自船が座礁するおそれがある中、巧みな操船により、同20分頃、JAMYVに横付し 、乗船者4名全員を無事救助した。 |
新潟県水難救済会 両津救難所 (海難救助功労/ 団体) 協力者 森川 武 氏 (海難救助功労/個人) |
令和元年11月2日、佐渡市真更川沖へ向かっていた11名乗り組みの遊漁船「善宝龍神丸」が午前6時45分頃、同市北端の弾埼付近の浅瀬に乗り揚げ後、漂泊状態となったことから、乗船客が118番に通報し、救助を求めた。 その後、同船は、破口からの浸水により傾斜を始めたことから転覆・沈没の危険を感じた乗船者11名は救命胴衣を着用し、海上に脱出した。 午前7時10分頃、佐渡海上保安署から救助要請を受けた、佐渡北端付近海域を管轄している 内海府漁業協同組合長(両津救難所救助員)は、同救難所救助員1名 と協力者1名 とともに、2隻の救助船にて同市鷲崎漁港を直ちに出港し、現場に向け急行した。 午前7 時30分頃現場に到着し、クーラーボックスなどに掴まり、うねりのあるなかで漂流していた乗船者11名全員を無事救助した。 |
SGホールディングス株式会社 (事業功労/団体) |
本会が行う水難救済事業の重要性を深く認識し、募金活動に全社を挙げて取り組み、永年にわたり「青い羽根募金」に多額の寄付をし、本会事業に極めて抜群の功労があった。 |
梶原 武 氏 (事業功労/個人) |
本会が行う水難救済事業の重要性を深く認識し、知人が水難事故で亡くなったことをきっかけに、本会が運営する水難救済事業の崇高さと重要性を認識するとともに、「青い羽根募金」の趣旨に感銘を受け 、 永年にわたり「 青い羽根募金 」に多額の寄附をし、本会事業に極めて抜群の功労があった。 |
安田 規浩 氏 (事業功労/個人) |
社会貢献活動の重要性と本会の運営する水難救済事業の崇高さと重要性を認識し、「青い羽根募金」の趣旨に感銘を受け、永年にわたり「青い羽根募金」として多額の寄附をされた 。 |
磯島 義洋 氏 (事業功労/個人) |
本会に巡り合い、本会の崇高さと重要性を認識し、本会への感謝と敬意をもって、永年にわたり、本会に対し「青い羽根募金」として多額の寄附をされた。 |
原 知崇 氏 (事業功労/個人) |
同氏は、母親のご遺志を汲み、過去に「青い羽募金」を行った日本水難救済会の活動や責務について共感していたこともあったことから、本会公益目的事業に多額の寄附をされた 。 |
表彰受章者 | 功績の概要 |
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兵庫県水難救済会 香住救難所 救助員 藤平 進 氏 協力者 M本 和彦 氏 (海難救助功労/個人) |
平成30年8月26日午前5時45分頃、兵庫県美方郡所在の余部埼で釣人2名のうち1名が救命胴衣を着用し釣り場を移動中、高さ約2mの磯波にさらわれ海中転落し、同行の釣人が投げいれたルアー(疑似餌)の釣り糸を右手に巻きつけて救助を待った。 海上保安署から救助要請を受けた香住救難所は、付近海域で操業中の2名乗り組みの救助船第一豊漁丸に出動依頼し、同救助船は直ちに現場に急行した。 現場海域は暗礁や岩礁が点在し、風速14mの南西の風、高さ1.5mの波と台風20号の影響による、うねりも加わり時々大きな磯波が打ち寄せて海中転落者が岩礁等に打ちつけられるおそれがあり、また、現場海域に出動した大型の巡視艇が激しい風浪により暗礁に乗り上げるおそれがあり接近困難な中、救助員(船長)は喫水の浅い救助船を巧みな操船により陸岸に接近させ、乗組員(協力者)が救助員の指示により、漁業に使用する「アバ(浮子)」にロープを組み合わせて海中転落者に向けて投げたところ、海中転落者がそれを掴んだことから救助船まで引き寄せて船内に収容、救助した。 |
遠藤 潔 氏 (事業功労/個人) |
創設以来、沿岸海域における人命・財産の救助において歴史と実績がある本会が運営する水難救済事業の崇高さと重要性を認識するとともに、「青い羽根募金」の趣旨に感銘を受け、個人の社会貢献活動と考え、平成26年5月15日から平成30年8月15日までの間、本会に対し「青い羽根募金」として多額の寄附をした。 |
公益社団法人 北海道海難防止・水難救済センター 前理事長 山田邦雄 氏 (事業功労/個人) |
社団法人北海道漁船海難防止センターと社団法人日本水難救済会北海道支部との組織統合に向けた困難な改革を推進して、平成11年8月に新たな組織として社団法人北海道漁船海難防止・水難救済センターを設立させた後、同センターの副理事長に就任、その後、平成13年6月には理事長に就任し、水難救済事業の発展に大きく貢献するとともに、公益法人化に向けた組織改革を積極的に推進し、平成24年4月、社団法人から公益社団法人北海道海難防止・水難救済センターへの移行を成し遂げた。 また、平成13年6月から平成30年6月まで、洋上救急センター道南地方支部の支部長として17年間にわたり洋上救急の円滑な事業推進の中心的な役割を果たすなど、約20年の長きにわたり北海道における水難救済事業と洋上救急事業の推進に尽力した。 更に、平成13年10月から現在まで約18年にわたり日本水難救済会の理事として、日本水難救済会及び全国の水難救済会の発展に寄与した。 |
令和元年度名誉総裁表彰受章者 (海難救助功労/個人) 兵庫県水難救済会香住救難所 救助員 藤平 進 氏 協力者 M本 和彦 氏 |
表彰受章者 | 功績の概要 |
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宮崎県水難救済会 日南市漁業協同組合救難所 救助員 佐藤 一徳 氏 救助員 佐藤 慎也 氏 (海難救助功労/個人) |
平成29年6月22日、午前3時30分頃、鹿児島県奄美大島西方約70海里付近海上においてマグロ延縄漁船が漂泊中、浸水し、急速に船体が傾斜したことから、漁業無線にて救助を要請するとともに、直ちに全員が救命筏にて退船した。 付近海上で操業中の救助船徳慎丸(漁船:日本人2名、インドネシア人3名乗組み)は、同船の救助要請を無線にて傍受するや直ちに操業を打ち切り、AIS装置に表示されていた同船の位置に急行し、暗夜の中、探照灯を使用しながら目視捜索を開始したところ、午前4時26分頃、転覆している同船を発見した。 しかし、付近海上に同船乗組員の姿や救命筏も見当たらなかったことから、その旨を僚船及び海上保安部に通報するとともに、転覆していた船から風下に向って漂流物が散在していたことから、それに沿って捜索するも発見に至らなかったため、同船の風上側にて捜索を続行したところ、約2メートルのうねりがある中、救命筏を発見、午前5時30分頃、救命筏内で救助を待っていた乗組員6名全員を救助した。 |
絹田 正裕 氏 (事業功労/個人) |
本会が行う水難救済事業の重要性を深く認識し、青い羽根募金の趣旨に感銘を受け、ボランティア救助活動等の支援に役立ててほしいと、平成27年1月15日から平成29年10月16日までの間、青い羽根募金として本会に多額の寄附をした。 |
木 芳暢 氏 (事業功労/個人) |
東日本大震災の大津波による被災状況に衝撃を受け、少しでも復興支援に役立つことができないかと考えていたところ、被災地域に所在していた地方水難救済会の多くの救難所が被害を受けたことを知ると同時に、本会が行う水難救済事業の重要性を深く認識するとともに青い羽根募金の趣旨に感銘を受け、平成27年1月15日から平成29年12月15日までの間、青い羽根募金として本会に多額の寄附をした。 |
若築建設株式会社 (事業功労/団体) |
本会が行う水難救済事業の重要性を深く認識し、長年にわたり全社を挙げて青い羽根募金に協力し、清涼飲料水を購入することにより売上金の一部が青い羽根募金として寄附される「青い羽根募金支援自動販売機」を設置するなどして、平成25年4月22日から平30年2月27日までの間、青い羽根募金として本会及び地方水難救済会に多額の寄附をした。 |
平成30年度名誉総裁表彰受章者 宮崎県水難救済会日南市漁業協同組合救難所 救助員 佐藤 慎也 氏 |
表彰受章者 | 功績の概要 |
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伊豆地区水難救済会 下田救難所 (海難救助功労/団体) |
平成28年8月21日午前7時33分頃、「下田市須崎の爪木埼灯台付近の磯場で釣人3名が海中転落し、救助を求めている。」との118番通報を受けた下田海上保安部は、直ちに下田救難所に対し救助出動の要請を行った。 要請を受けた同救難所の救助員6名は、直ちに救助船「すさき丸」に乗船し、台風9号の影響により磯波が高い中、多数の岩礁が存在し、複雑な沿岸流のある海域において、捜索を開始して間もなく、救命胴衣を未着用で漂流中の3名を発見した。 しかし、接近するのは磯波が高く極めて危険と判断し、3名に対し沖合に向かうよう指示し、巧みな操船により救助員が一致協力してロープを投げ入れ、午前8時頃までに3名を船内に引き上げ救助した。 また、そのうちの1名が意識を失って心肺停止状態になったため、その異変に気づいた救助員の一人が直ちに心肺蘇生措置を開始して須崎漁港まで継続し、救助した他の2名と共に消防の救急隊に引き継いだもので、極めて抜群の功労があった。 |
紙尾 均 氏 (沖縄県立八重山病院救急科部長/医師) |
洋上救急事業の協力医療機関の医師として、平成19年6月の初出動以来巡視船艇や航空機に同乗して平成28年9月までに累計12件の洋上救急事案に出動し、14名の傷病者に対して救急医療処置を行ったほか、本会が実施している慣熟訓練にも率先して指導的役割を担う等、本会の洋上救急事業に貢献し、極めて抜群の功労があった。 |
平成29年度名誉総裁表彰受章者 伊豆地区水難救済会下田救難所 |
表彰受章者 | 功績の概要 |
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特定非営利活動法人 長崎県水難救済会 上対馬救難所 救助員 西原 勝 救助員 西原 浩勝 (海難救助功労/個人) |
平成27年9月1日、長崎県対馬市比田勝港の東方約12海里の海域でいか釣漁を行っていたいか釣り漁船恵比須丸が、風浪が激しくなったため操業を止めて帰港しはじめた午前3時頃、突風を受けて船体が右舷側に傾き始めたため、同船船長は危険を感じて救命胴衣を着用のうえ船外に脱出したが、直後に同船が転覆したため、漂流しながら救助を待っていた。一方、同海域で同様にいか釣漁を行っていた救助員2名は、午前3時頃、恵比須丸から「風が強くなってきたため帰港する」旨の無線連絡を受けていたが、午前4時頃、無線で呼びかけても応答がないため異変を感じ、直ちに同いか釣り漁船が操業していたと思われる海域に急行し、捜索を始めた。間もなく、微かな油の臭いに気付いて付近海上を捜索したところ、午前5時30分頃、船底を上に向け転覆している同船を発見するとともに、約300メートル離れた海上において漂流中の船長を発見し、夜間荒天の下で救助員が一致協力し、午前5時50分頃、無事救助したもので、極めて抜群の功労があった。 |
特定非営利活動法人 長崎県水難救済会 豊玉町救難所 救助員 築城 哲則 救助員 原田 政範 <協力者> 漁船第二十五友盛丸乗組員 中井 義廣 漁船第八豊進丸乗組員 原田 徳夫 (海難救助功労/個人) |
平成27年9月1日、長崎県対馬市美津島町の東方約14海里の海域でいか釣漁を行っていた漁船第一吉栄丸が、午前3時頃から突風を伴った雨が激しく降り始めたため、帰港準備にかかっていた午前3時40分頃、大きな三角波が船内に打ち込み船体が次第に右傾斜し、機関室に海水が流入して機関が停止したことから無線により僚船へ救助要請した。その直後に同船は転覆し、救命胴衣着用の船長及び救命胴衣未着用の乗組員1名は海中に投げ出された。一方、同海域で、いか釣漁を行っていた第二十五友盛丸及び第八豊進丸は、同日午前3時頃から風雨が強くなってきたため、それぞれ帰港を開始した直後の午前3時40分頃に第一吉栄丸から救助要請を受け直ちに現場に引き返し捜索していたところ、第二十五友盛丸が微かな笛の音を聞きつけて、漂流中の船長を発見し、夜間の荒天の下で救助員と協力者が一致協力し、午前4時30分頃、無事救助した。また、続いて現場海域で捜索中の第八豊進丸も、午前4時30分過ぎに波間を漂流していたもう一人の乗組員を発見し、夜間の荒天下に救助員と協力者が一致協力し、午前4時40分頃、船内に収容し無事救助したもので、極めて抜群の功労があった。 |
南日本造船協力事業協同組合 (事業功労/団体) |
本会が行なう水難救済事業の重要性を深く認識し、南日本造船株式会社と協力し、清涼飲料水を購入することにより売上金の一部が青い羽根募金として寄付される「青い羽根募金支援自動販売機」を工場内に設置し、平成23年3月15日から平成28年2月15日までの間、青い羽根募金に多額の寄付をし、本会事業に抜群の功労があった。 |
平成28年度名誉総裁表彰受章者 特定非営利活動法人 長崎県水難救済会 上対馬救難所 救助員等 |
平成28年度名誉総裁表彰受章者 特定非営利活動法人 長崎県水難救済会 豊玉町救難所 救助員等 |
表彰受章者 | 功績の概要 |
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徳島県水難救済会阿南救難所椿泊支所 (海難救助功労/団体) |
平成26年8月2日午後7時頃、台風の接近に伴って降り続く大雨により、YMCA阿南国際海洋センターキャンプ宿泊施設から約4キロ離れた県道が山麓崩壊により不通となり、サマーキャンプに参加していた大阪府内の小中学生等74名と施設関係者の計106名が施設内に孤立した。 翌8月3日朝、宿泊者の安全の確保が困難になることが予想されたため、同施設の責任者は、午前7時42分頃、徳島海上保安部に対し救助要請を行い、同海上保安部では直ちに巡視船艇を宿泊施設に向かわせたが、同施設の桟橋付近は水深が浅く巡視船艇が接岸できないため、午前9時頃、徳島県水難救済会阿南救難所椿泊支所に対し救助協力要請を行った。 要請を受けた椿泊支所長は、真光丸、勝丸及び住吉丸の3隻の救助船(瀬渡船)に対して出動を指示し、午前10時頃、救助船救難所員は、大雨洪水警報発令中の降雨の中、卓越した操船技術により1回につき約10名ずつピストン輸送を行い、小中学生等計48名を沖合に待機中の巡視船艇まで移送して無事救助したもので、極めて抜群の功労があった。 (他の26名の宿泊者は、巡視船の搭載艇により救助された。) |
斎藤 裕 (洋上救急功労/個人) |
緊急に加療を要する船舶上の傷病者に対する人命救助と船員福祉の向上を目的として昭和60年10月から開始された洋上救急事業の協力医療機関の医師として、長期間にわたり洋上救急に従事し、平成10年までに16件の洋上救急事案に巡視船艇や航空機に同乗して出動し、16名の傷病者に対して医療処置を行なうとともに、その後も引き続き洋上救急に出動する可能性がある若手の医師・看護師に対する慣熟訓練の実施に南九州地区洋上救急支援協議会の顧問として積極的に協力してきており、長年にわたり本会の洋上救急事業に貢献し、極めて抜群の功労があった。 |
SGホールディングス株式会社 (事業功労/団体) |
本会が行う水難救済事業の重要性を深く認識し、募金活動に全社を挙げて取り組み、永年にわたり「青い羽根募金」に多額の寄付をし、本会事業に極めて抜群の功労があった。 |
平成27年度名誉総裁表彰受章者 (徳島県水難救済会阿南救難所椿泊支所長等) |
表彰受章者 | 功績の概要 |
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日本医科大学付属病院 | 昭和60年3月17日から出動回数115回、出動医師・看護師等230名 |
東海大学医学部付属病院 | 昭和63年7月23日から出動回数 77回、出動医師・看護師等213名 |
沖縄赤十字病院 | 昭和62年5月9日から出動回数 61回、出動医師・看護師等112名 |
表彰受章者 | 功績の概要 |
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特定非営利活動法人 長崎県水難救済会 橘湾東部救難所南串山支所 救助員 井上 繁 救助員 井上 勇喜 (海難救助功労/個人) <協力者> 漁船第一博洋丸 外国人技能実習生一同 |
平成25年12月24日午前2時30分頃、長崎県五島市男女群島女島の南南西約20海里の海上において、漁船明勇丸が船尾の居住区から出火し、消火を行うも火勢は衰えず、船首付近に乗組員4名が退避した。 付近海域において操業中の漁船第一博洋丸(救助員2名及び協力者3名乗組み)は、明勇丸の集魚灯が消灯し、船橋付近にもやもやした光を視認するなど異変に気付き、直ちに明勇丸に向け急行したが、既に後部から前部甲板上に火が回っており、また、風浪高く荒天下のため、船長は同船への接舷は困難と判断し直ちに機関長に指示して救命浮環を投げ入れ、海に飛び込んだ明勇丸乗組員の救助を開始し、救助員及び協力者3名が互いに協力し、午前2時55分、全員を救助したもので、極めて抜群の功労があった。 |
公益社団法人 北海道海難防止・ 水難救済センター松前救難所 (海難救助功労/団体) |
平成24年11月26日午後5時頃、北海道猿払村知来別漁港から函館港へ回航中の漁船第一金英丸(2名乗組み)が、松前港付近に点在する暗礁に乗揚げた。 荒天のため海上保安庁のヘリコプターによる救助ができない状況下、函館海上保安部から救助要請を受けた松前救難所は、同日午後5時50分頃、所属船光仁丸及び幸喜丸の2隻を出動させ、現場付近まで進出したが、現場は磯波が高く、第一金英丸は船体の動揺が激しく極めて危険な状況に陥っていた。 その後、第一金英丸を監視中、該船が風浪の影響を受けて船首方向が沖向きに変わった瞬間をとらえ、喫水の浅い光仁丸が岩礁を回避しつつ該船に接近、幸喜丸は光仁丸の接近を認めるや可能な限り接近して探照灯により付近海域を照らし、光仁丸の接近を支援し、光仁丸は該船乗組員にロープを投げ渡して、ロープを体に巻き付けるよう乗組員に指示し、自身の手首にロープを巻き付けて救命胴衣着用のうえ順次海に飛び込んだ乗組員2名を光仁丸乗組員が引き寄せて船内に揚収し、午後6時50分頃救助完了したもので、極めて抜群の功労があった。 |
社会福祉法人 恩賜財団済生会支部 鳥取県済生会境港総合病院 (洋上救急功労/団体) |
緊急に医師の加療を要する船舶上の傷病者に対する人命救助と船員福祉の向上を目的として、昭和60年10月から開始された洋上救急事業に関して、協力医療機関として、これまで31件の洋上救急事案に対して60名の医師・看護師を出動させ、傷病者31人に対して医療処置を行い、船員等の人命救助と福祉の向上に極めて抜群の功労があった。 |
山内 甚一郎 (事業功労/個人) |
本会が行う水難救済事業の重要性を深く認識し、東日本大震災で自家の1階部分の物がほとんど流出されるなど自ら被災され、多くの方から支援を受けたことにより、社会への恩返しをしたいという感謝の気持ちから、ボランティア救助活動等の支援に役立ててほしいとのことで青い羽根募金に多額の寄附をし、本会事業に極めて抜群の功労があった。 |
福盛 訓之 (事業功労/個人) |
本会が行う水難救済事業の重要性を深く認識し、東日本大震災の被災状況に大きな衝撃を受けたことがきっかけとなり、自分にも何か支援できるものがあるのではないかと考え、ボランティア救助活動等の支援に役立ててほしいとのことから、青い羽根募金に多額の寄附をし、本会事業に極めて抜群の功労があった。 |
平成26年度名誉総裁表彰受章者 (特定非営利活動法人 長崎県水難救済会 橘湾東部救難所 南串山支所 救助員等) | 平成26年度名誉総裁表彰受章者 (北海道海難防止・水難救済センター松前救難所) |
表彰受章者 | 功績の概要 |
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山形県水難救済会 酒田救難所 所長 池田 亀五郎 (海難救助功労/個人) <協力者> 山形県漁業協同組合 さかた総合市場 次長 職員 石澤 利明 |
平成24年2月22日 午後4時30分頃、山形県酒田市沖合北西約8海里付近で、操業中の小型底曳網漁船が横波を受けて転覆、海中に投げ出された船長及び乗組員2名は、自力で該船の船底に這い上がり救助を待った。 同日午後6時30分頃、家族から山形県漁業協同組合を通じて関係の救難所に捜索依頼があり、これを知った酒田救難所長は、一刻も早い現場確認が必要と判断し、自船の乗組員を招集する時間を惜しんで、山形漁業協同組合さかた総合市場の職員2名を乗船させて直ちに酒田港を出港し、捜索を実施。洋上は暗闇で捜索は困難であったが、船長は、自船が帰港する際、操業中の海宝丸を視認した海域を重点的に捜索し、自船から3海里(約6km)の地点のレーダーのかすかな映像を見逃さず、午後8時10分頃、転覆した海宝丸を発見。漁具や漁網が多数散乱浮遊し、接近困難な状況の中、接舷し、一致協力して船底上の3名を無事救助したもので、極めて抜群の功労があった。 |
公益財団法人 昭和会 (洋上救急功労/団体) |
昭和60年10月から開始された洋上救急事業において、協力医療機関として長期間にわたり積極的に協力し、これまで34件の洋上救急事案に対して57名の医師・看護師を派遣、巡視船や航空機等に同乗して出動し、緊急に医師の加療を要する傷病者34人に対して医療処置を行い、船員等の人命救助と福祉の向上に極めて抜群の功労があった。 |
JFEスチール株式会社 西日本製鉄所 (事業功労/団体) |
本会が行なう水難救済事業に関し、日頃からその重要性を深く認識し、清涼飲料水を購入することにより売上金の一部が青い羽根募金として寄付される「青い羽根募金支援自動販売機」を事務所内に設置し、従業員がこれに協力して青い羽根募金活動に取り組み、多年にわたり多額の寄附をし本会事業に極めて抜群の功労があった。 |
飯嶋
(事業功労/個人) |
本会が行なう水難救済事業に関し、日頃からその重要性を深く認識し、ボランティア救助活動等の支援に役立ててほしいとのことから、青い羽根募金に多額の寄付をし、本会の事業に極めて抜群の功労があった。 |
平成25年度名誉総裁表彰受章者
(山形県水難救済会 酒田救難所等)
表彰受章者 | 功績の概要 |
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和歌山県水難救済会 紀南東部救難所串本支所 (海難救助功労/団体) |
平成23年2月22日午前6時40分頃、和歌山県安指漁港沖合で瀬渡船が激浪により転覆大破し、海中に投げ出された乗組員2名及び釣り客5名の救助要請を串本海上保安署から受けた同支所は、救助船5隻、救助員13名を直ちに出動させ、付近海上の漂流者の捜索にあたった。 現場付近は岩礁・暗礁に囲まれた危険な海域で、10メートルを超える強風の中、迅速的確な救助活動により漂流者3名を無事救助し極めて抜群の功労があった。 |
長崎県水難救済会 橘湾東部救難所 千々石救難支所 救助員 吉岡 靖彦 救助員 平野 竜磨 救助員 中田 翼 (海難救助功労/個人) |
平成22年7月28日午後2時20分頃、長崎県雲仙市千々石町の千々石海水浴場で高波にさらわれて50〜60mの沖合に流され、荒波に揉まれながら救助を求める高校生を、救助員1名が救命胴衣を着用し、高波が打ち寄せる海中に自らの危険を顧みず飛び込んで救助に向かい、他の救助員2名が被救助者の位置や潮流の状況等を確認指示する等迅速的確な救助活動を連携して行い無事救助したもので、極めて抜群の功労があった。。 |
沖縄県立八重山病院 (洋上救急功労/団体) |
緊急に医師の加療を要する船舶上の傷病者に対する人命救助と船員福祉の向上を目的として昭和60年10月から開始された洋上救急事業に関して、協力医療機関として、これまで36件の洋上救急事案に対して39名の医師・看護師を派遣、巡視船や航空機等に同乗して出動し、傷病者38人に対して医療処置を行い、船員等の人命救助と船員の福祉向上に極めて抜群の功労があった。 |
若築建設株式会社 (事業功労/団体) |
本会が行なう水難救済事業に関し、日頃からその重要性を深く認識され、青い羽根募金活動に全社を挙げて取り組み、多年にわたり多額の寄附をし、本会の事業に極めて抜群の功労があった。 |
平成24年度名誉総裁表彰受章者
(和歌山県水難救済会 紀南東部救難所串本支所)
東日本大震災により東北地方を中心に甚大な被害が発生し、また、岩手県、宮城県、福島県、茨城県等の水難救済会の救難所、支所及び救助員も甚大な被害を受けていることに鑑み、平成23年度は日本水難救済会名誉総裁表彰を取り止めました。
表彰受章者 | 功績の概要 |
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高知県水難救済会 宇佐救難所 (海難救助功労/団体) |
平成21年9月27日午前10時20分頃、高知県土佐市宇佐沖合で遊漁を終え帰港中の遊漁船から乗船者1名が海中転落し、海上保安庁より救助要請を受けた宇佐救難所は、直ちに救助船に救助員3名を乗船させ出動した。 救助船は付近海域の漂流ごみと潮目を重点的に捜索し、助けを求める微かな声を聞きつけ、6時間以上救命胴衣を着用しないまま立ち泳ぎの状態で漂流し疲労困憊の海中転落者を発見、無事救助した。 本件海難救助は、沿岸海域の海潮流に熟知した地元漁民でなければなし得なかったものであること、また救命胴衣を着用しないまま頭部のみ海上に出した状態で極めて発見しづらい状況下、五感を研ぎ澄ませつつ要救助者の助けを求める微かな声を聞きつけて救助に至ったもので、操船者と捜索者とが連携した見事な救助作業であり、極めて抜群の功労があった。 |
長崎県五島中央病院 (洋上救急功労/団体) |
昭和60年10月から開始された洋上救急事業において、協力医療機関として長期間にわたり積極的に協力し、これまで31件の洋上救急事案に対して52名の医師・看護師を派遣、巡視船や航空機等に同乗して出動し、緊急に医師の加療を要する傷病者に対して医療処置を行い、船員等の人命救助と福祉の向上に抜群の功労があった。 |
SGホールディングス株式会社代表取締役会長兼社長 栗和田 榮一 (事業功労/団体) |
本会が行なう水難救済事業に関し、日頃からその重要性を深く認識され、青い羽根募金活動に全社を挙げて取り組み、多年にわたり多額の寄附をされた。 |
ジュン ペイジ (Jun Page) (事業功労/個人) |
本会の正会員であったペイジ・グラハム・ジョン氏は、日頃から水難救済事業の重要性を深く認識され、同氏の父君の遺産の一部を寄附していただく等多大なご支援をいただいていたところ、平成21年3月に同氏がご逝去され、そのご子息のジュン・ペイジ氏が故人のご遺志を汲み、日本水難救済会の発展のためにと多額の寄付をされた。 |
河崎 則子 (事業功労/個人) |
平成20年11月に、熊本県の八代海で遊漁中の夫を不慮の海難事故で亡くされたことから、水難救済事業の重要性を深く認識され、捜索救助活動等に役立てて欲しいとの強い思いから青い羽根募金に多額の寄附をされた。 |
平成22年度名誉総裁表彰受章者
(高知県水難救済会宇佐救難所)
表彰受章者 | 功績の概要 |
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香川県水難救済会 多度津救難所 白方支所 (海難救助功労/団体) |
平成20年9月21日午前10時30分頃、香川県仲多度郡多度津町の沖合において、天候急変に伴う突風により、プレジャーボート等多数が転覆した。 強風高波の危険な状況のもと、多度津救難所白方支所救助員が一丸となって迅速的確に救助活動を行い、転覆したプレジャーボート「白鷺」(5.38メートル、船長他2名乗船)及び釣り船「細川丸」(7.47メートル、船長1名乗船)の遭難者4名を救助するとともに、転覆船2隻を白方漁港まで曳航救助したもので、人命救助に極めて抜群の功労があった。 |
総合病院沖縄赤十字病院(洋上救急/団体) | 昭和60年10月から開始された洋上救急事業において、同事業の協力医療機関として長期間にわたり積極的に協力し、これまで51件の洋上救急事案に対して95名の医師・看護師を出動させ、緊急に医師の加療を要する船舶上の傷病者に医療処置を行い、船員等の人命救助と福祉の向上に極めて抜群の功労があった。 |
福岡県水難救済会前会長伊豆善也(事業/個人) | 昭和52年に日本水難救済会福岡県支部長に就任以来31年余に亘り、水難救済事業に深く関与され福岡県水難救済会の社団法人化を図るなど、同会の育成及び発展に大きく寄与された。 また、その間、日本水難救済会の役員として同会の発展に尽力されるとともに、昭和60年、洋上救急制度の発足時から洋上救急センター北部九州地方支部長として洋上救急業務の的確な遂行に大きく貢献されるなど、本会の事業に極めて抜群の功労があった。 |
平成21年度名誉総裁表彰受章者
(香川県水難救済会多度津救難所白方支所)
表彰受章者 | 功績の概要 |
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宿毛救難所及び大月救難所(団体) | 平成19年5月31日午後8時40分頃、高知県幡多郡大月町南方海上において4人乗りのプレジャーボートが岩礁に激突大破し、浸水沈没したとの情報を入手するや、直ちに救助船7隻を出動させ、漂流中の4人全員を無事救出した。 |
残波ビーチ救難所 救助員 仲里 武晃、福地 常幸、藤巻 正洋(個人) |
平成19年4月18日午後2時頃、沖縄県残波岬沖合いのリーフ内で潮干狩り中の13名が、天候の急変により、岩礁等に孤立し救助を求めているとの情報を受けるや、直ちに船外機付救助船と水上オートバイで現場に急行し8名を救助した。 |
稲佐救難所(団体) | 平成15年から平成19年までの5年間、連続して海難救助件数が全国の救難所中第1位となる実績をあげた。 |
遊覧船かすみ丸 有限会社(団体) | 毎年、青い羽根募金強調運動期間中、遊覧船かすみ丸観光客に募金の協力を呼びかけるなど募金活動に多大の貢献をするとともに、「青い羽根募金」に多額の寄付をした。 |
社団法人 日本海員掖済会 宮城利府掖済会病院(団体) |
洋上救急事業に長期間にわたり積極的に協力し、49件の洋上救急事案に対して102名の医師・看護師を出動させ、船舶上の傷病者に医療処置を行った。 |
平成20年度名誉総裁表彰受章者
(遊覧船かすみ丸 有限会社)